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essay      2021   

​影とひかり

 

 

 十六年間、アルツハイマー病で闘病していた父が他界したのは二〇一五年の八月十四日のこと、享年八十四歳だった。直接の死因となったのは誤嚥性肺炎である。数か月前から嚥下ができなくなり、病院で寝たきりの生活となっていた。点滴でなんとか栄養を補給するような状態で、身体はかなり痩せてしまっていた。それでも僕と母は父の回復力を信じて退院できることを祈っていたが、前年から入退院を繰り返すような状況だったので、退院できたとしても筋肉が衰えてもう立てなくなるかもしれないということは覚悟していた。そういう事情から、十月初頭が締め切りのその年の日展への出品画には、父の立ち姿を描いておきたいと考えて、年の初めから取材を重ねていた。

 新春とはいっても寒さの厳しい一月のある日、父を連れて外へ出た。父は元来足腰がとても丈夫で、これまでも入院し寝たきりの生活が続いた後でも退院すれば自力で立ち上がって歩くことができるほどだった。この頃もかなり弱ってはいたが、手を引けばゆっくりと歩くことができた。あまり遠くへ連れ出すことはできないので、僕たちが住むマンションの踊り場がその頃の主な取材場所となっていた。そのマンションは古く、外観はあまり綺麗ではなかったが造りは立派で、経年の汚れが良く言えば味ともなってある種の雰囲気を感じさせた。風雨に晒されて汚れた乳白色のコンクリート壁は古い石造りの壁のようにも見えた。実際、このマンションを舞台に描いた作品は充実したものが多いと思う。

 その時も、父に壁の前に立ってもらい色々な方向からデッサンをしていた。その日は曇りで、雪を呼びそうな湿気を帯びた寒風が時々吹いていた。父は愛用のトレンチコートに濃緑のマフラーを巻いた装いで、手をしきりに擦り合わせていた。その動きは父の癖だった。踊り場といっても、外にある非常階段に面した場所なので、半分は屋外のようになっている。自然光が差し込むので、モデルをしてもらうのには都合が良かった。不意に、重い雲が晴れ、あたたかな強い一条の陽光が差した。今まで天井の陰の半室内で風の冷たさを凌いでいた父は、その光の方へのっそりと歩んでいった。僕はその瞬間、強く胸を穿たれた。

 父はもう十年ほど前から僕のことを認識できなくなっており、この頃には完全に会話もできないような状態になっていたから、僕が絵を描いていても平気で動き回るのだった。普段は目の焦点も合わず穏やかで虚ろな表情をしていたが、ふとした瞬間に強烈な霊感のようなものを感じさせるところがあった。それは、あたかも僕の心の深部にある何かを映したような瞬間だったのではないかと今は思う。僕は、壁の光と影の間をゆっくりと行きつ戻りつするその父の姿を絵にすることに決めた。

 父はその後入院してしまい二度とモデルをしてもらうことは叶わなかった。父が亡くなってからも僕はその絵を描き続け、日展に出品した。これまで父をモデルに多くの大作を制作してきたが、これが存命中に描いた最後の作品となった。

 中央にやや俯いて右に身体を傾けた父が立ち、光と影が画面を二分している。影の冷たい青みと光のあたたかな黄色みのコントラストを大きな色面として対比させ構成したかった。右側が影で左側が光。父の姿は影の中に埋まりつつある。僕は完成した絵に《影とひかり》とタイトルを付けた。

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